![]() |
||||||||||||||||||||||||||||||||||
![]() |
![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||
|
“J” Antonio・・・・・・・・・・Artist
キャリア
▼ CD 「CON VIDA」1992年 トヨタカップイメージソング(ビクターエンタテイメント) 「LET ME TRY」1996年 ユニットグループ メEdgeモ(東芝EMI) 「RENT」1998年 ミュージカル「RENT」主題歌(エピックSONY) 「EL・FLOR」2003年 ラテンミュージックアルバム(NAGISA MUSIC) ▼ 舞台 「レ・ミゼラブル」1994年 「ゴスペル・ナイト」1994年 グラミー賞受賞者ダリル・コーリーと共演 「RENT」1998年 ブロードウェイミュージカル 「OH MY GOD」2002年 主演作品 「おっ、ぺれった」2002年11月 「英国美少年園」2002年12月 「リトルゴースト」2003年9月 「来夢来人〜ムード歌謡な夜〜」2003年10月 同名ラジオ番組の舞台化 「ビバ・ラティーノ!」2003年10月 品川プリンスホテル クラブeX ▼ TV・ラジオ 「“J”とサチのエッジきいてる?」1996年12月〜1997年12月 FM福島 「スバル・パラダイス・クルーズ」1996年12月〜1997年12月 FM福島 「SOUND SWELL」1997年9月〜1999年3月 デジタルラジオSTARdigio 「Sopa de Latino」2001年10月〜O.A中 スカイパーフェクTV 「“J”のラジオブラボー」2002年4月〜O.A中 FM広島8局ネット 「ストリートファイターズ」2002年4月〜2003年6月 テレビ朝日 「プライム・アングル」2002年8月〜10月 J−WAVE 「“J”のアモーレ・アモーレ!」2003年6月〜O.A中 鎌倉FM 「Blue Lagoon」2005年4月〜O.A中 InterFM 「味わいぶらり旅」 2007年1月14日放送 RKB ▼ TVCM 「Pico」2003年4月〜6月 「Town&Country」2003年4月〜6月 ▼ 映画 「心霊」1996年 稲川淳二監督作品 「怜也」2002年冬公開 ▼ コンサート・海外ツアー |
![]()
父、アントニオ古賀氏の影響もあり、幼い頃から音楽に浸る毎日を過ごす。特にR&Bに出会ってからは、歌は聴くだけでなく自ら醸し出すもの、という概念を持つようになり、ボーカリストとしての第一歩を踏み出す。日本人離れしたワイルドでハスキー、セクシーでスウィートな声が人気を博し、ライヴでは、常に多くのファンが詰めかけるようになる。そして、更に自分の音楽を追求するため、1989年にギター片手に単身ニューヨークへ。 マーサ・グラハム・ダンサースクールで、モダンバレエの基礎を学ぶ傍ら、本場のR&Bに刺激を受け、1991年ロサンゼルスに於いて本格的なボーカルトレーニングを開始。そこでジャクソンファミリーのプロデューサーと運命的に出会い、その独特な歌声が認められ、音楽活動を共にすることに。 その後、メキシコにサーフトリップに行きだすようになると、ラテン音楽にも魅了され、メキシコはもちろん、キューバなどのラテン諸国のコンサートツアーに参加するようになる。 1998年の夏には、再びメキシコに渡り、世界的に有名な作曲家であり、ルイス・ミゲルやアレハンドロ・フェルナンデスなど、有名若手アーティストのプロデュースを手掛けた、名曲「アドロ」の作曲家でもある、アルマンド・マンサネーロ氏の下で“日本人初の弟子”と認められ、生活を共にし、レッスンを受ける。 現在は、持ち前の“七色の声”を武器に、ボーカリストとしてはもちろん、ラジオDJやTVナレーターではスペイン語・英語・日本語のミックストークで人気を集め、CMや、さらにはミュージカル、舞台、映画に出演と、多方面に活躍の場を広げている。今後ジャンルにとらわれずラテン、ジャズ、ポップス、ソウルなどをミックスさせた、新しい独自の音楽スタイル“J”STYLATINO(ジェイスタイラティーノ)を確立させるため音楽製作やライブ活動をおこなっている。 ちなみに、ラテンダンス界では、日本のリッキー・マーティンと呼ばれている。 キャッチフレーズは、“太陽とKISSをした男” |
|||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||